桜砧忌

 砧大蔵さんの命日。
 忙しくてヘロヘロになりながら、それでも砧さんを思う。
 戦闘シーンが少ないと編集に言われて夫婦喧嘩のシーンを書いた砧さん。
 『水戸』では戦艦を漫遊させてしまった。そういう諧謔精神と、反骨に近いけれど、世を憂い、業界を憂う気持ちを失わない人だった、
 いろいろと業界のことを教わった。
 山田正弘先生と、砧さんを次々と失ったことで、私もかなり考え込んだ。
 砧さんと、志を同じくしていた。
 売れる売れないというよりも、志があった。
 その先輩を失った。
 私へのメールでは明るく、冗談交じりにお話をくださった砧さんだけど、その内面、苦しんでいたのだろう。
 あれから後、何かするたびに『こんなことやってみましたよ、砧さん!』と思って、その直後、嗚呼もういないのだと思い、そのたびに胸が締め付けられる。
 でも、私は魂は残ると信じている。
 山田先生も砧さんも、今の私を見ているのだ。
 恥じぬように、努力するしかない。
 
 ちなみに、6日は砧さんの月命日。7日は私の弟の月命日。10日は山田先生の月命日。
 7日をまとめてJYLとしてのメモリアルデーとしている。
 記憶は劣化する。
 でも、魂は受け継がれる。
 そう信じている。