失調

 酷い失調。体も心も破産状態。熱風炉爆発(『華麗なる一族』)。
 こんな状態でいい仕事が出来るはずもないが、幸いなことにシフト休がきた。
 本当に最悪。ユキさんもケアしてくれるけど、いつもの原稿を発表した直後の『脱稿ウツ』と呼んでいるものが2連発みたいな状態で、今こう書いていても酷い落ち方。
 特にこれまでやってきたこととか、今の技量とか、ありとあらゆる面で自分がどうしようもなく思える。
 自信なんてものははじめからないのだが、それでも魂を駆動していたエネルギーもなくなり、屍状態。


 で、いつまでもこうして落ち込んでいてはいけないと必死に復活を図る。
 要するに自分の非力に毎回泣くのが脱稿ウツ。脱稿時、たしかにこれ以上は今の自分には出来ないと言う感触を持っている。でも、それがあまりにも次元が低いんじゃないかと思って、自分の努力不足を詰る。
 でも、それはどうにもならないことで、私自身突然上手くはならないことは分かっているし、昔からピラミッドは頂点から造られはしないという。
 毎回限界まで書いている。手抜きどころか、自分でもここまで書いたら自分が傷つくとか、ここまで書いたら自分の範疇じゃないとか、要するに自分の力以上のものを目指して、事実そうやって書いてきた。
 でも、それも一つの作品を長い間書いているせいで、手を離れたとたん、自己批判の地獄に堕ちるのである。


「マルサの女」日記

「マルサの女」日記

 私が自分でただ見る側としての映画やドラマから、自分が考える映画やドラマ、小説に切り替わったのは、たぶん伊丹十三さんの『マルサの女』日記を読んだ日からだと思う。小学5年生だった。現物は図書館で読んで、閉館まで読みふけった。
「大病人」日記

「大病人」日記

 今、同じ伊丹十三の『大病人日記』を常に机の隣に置いている。
 他にも文章の書き方本、小説の書き方本からシナリオの書き方本まで、かなり無理な状態でも、出るとほぼ必ず買う。鈴木輝一郎さんの本はデビューしてからの発刊だったので、もっと前に読んでおけば良かったと悔しかったが(購入済みです)、『スペースオペラの描き方』は苦しい時の良薬だった。

 なかには批評家がその批評家としての地位を維持するためだけに書いた全く実作のことを考えていないものもあるが、買ってからムカつきつつ、それも読んだ。
 ただ、そのなかでも日記形式にシナリオをあわせた伊丹十三の映画日記は特別だと思う。
 『スペースオペラの描き方』も充分参考になるが、読み物として面白すぎてつい読みふけって仕事に戻れなくなってしまうのが残念である。
 で、『大病人日記』ではその伊丹十三が映画について語る。
 いろいろな映画の中で、映画の本質について論じる。
 マルローとか、本当に伊丹十三は細かく分析する。
 で、インタビュアーが『伊丹映画ってそこまでできてるんですね』と水を向ける。
 すると、
『ぜんぜんそうなってないの! だから苦しんでるの!』
 と伊丹十三が笑うのである。


 考えたようには作れないし、作れてもその通りに受け取ってもらえない。
 伊丹監督でさえそうだったのだ。
 私のような小物は、もっともっと悩まねばならないんだろう。
 とここまで書いて、少しエネルギーが戻ってきた。

ミンボーの女 [DVD]

ミンボーの女 [DVD]

 ちなみに大病人日記、伊丹監督が『ミンボーの女』の関係でヤクザに顔を切られた事件の前後が載っている。事件そのものは当時捜査中だったので書いていないが、やっぱり伊丹監督らしい良さがある。冷静だなあ、伊丹監督。なんであんな死に方したんだろう。