殉職

 詳しい分析は警備部がやるだろう。現場検証や裏付け捜査があとに山のようにあるのだろうから。
 ただ、これで犯人の身柄を確保できたのは警察としては成功だろう。時間がかかったなどと言うが、時間をかけて人質が解放され犯人の身柄が押さえられるなら時間なんかいくらかかっても良い。時間を気にするのは中継放送の枠を撮るのが大変なマスコミの勝手とテレビ桟敷の野次馬根性だろう。第一現場のアパートにまでマスコミが『詰めかけた』らしいし。馬鹿か。
 イヤな言葉だが、損耗率というものがある。誰かが死なないと、必死でやるべき部隊の訓練が次第にエアガン遊びに近づいてしまう。実質自衛隊でもエアガンを使った訓練があるし、警察でもレーザー銃とバトラーという着るレーザーセンサーによる訓練と住み分けて実施されているという。
 エアガン遊びは確かに実戦っぽくって勉強になるが、プロはそれを越えねばならない。特に命をかけた任務の場合、リアルな訓練は任務の緊張を取ってくれるけれど、緊迫感まで失いかねない。
 殉職を無駄にせぬよう、SATは今回の事案を徹底検証し、ますます訓練に励んで欲しい。そして我々市民も、SATが出動せねばならないような事案が起きぬよう、自分の周りだけでもよく知って置かねば。それが市民力である。
 そして、マスコミは第4の権力であり、迷惑である。私なんかニュース速報で知る以外は昨日は勤務だったし、なにも24時間中継する必要もないだろう。ペルー大使公邸立てこもりなんかもっと時間をかけた。一般家屋なんだから食糧の心配もないし、長期化するのは当然だった。本当に不運としか言いようがない。
 防弾チョッキも万能ではない。拳銃弾をある程度防げる程度で、高速弾・ライフル弾は防げないし、また活動する特殊部隊員の防弾チョッキは全ての面を装甲できるわけではない。比較的被弾しやすい部分を覆うしかないし、防弾ばかり気にして鈍重になっては任務が実施できない。
 ちなみに未だにこういう人々の死を殉職という仕事のうちだなどという馬鹿がいるが、死と隣り合わせの仕事で、訓練に訓練を重ねて、その上で亡くなったことを殉職というのだ。
 訓練した教官も、共に訓練する同期も、そして全国の警察官と警察官を尊敬している人々は打ちひしがれているだろう。
 でも、こういう犯罪をプライバシーの概念で地域的な活動を封じ、一億総ヒキコモリワンルームマンション的に演出するマスコミにもまた問題があるだろう。
 世帯を持てば地域との活動もあるし、そのなかで見えてくる問題もある。
 人は一人では生きていけない。
 その中で情報化が進んだ結果、個性化が『孤生化』になってしまった。
 小さくてもいい、ほんの数時間でも良い。
 地域のために何か活動することはできる。それをやってほしい。
 私は今それをやっている。
 そのメッセンジャーの向こうには、ともだちはいない。
 本当にいるのは、多少難ありとはいえ、隣の家の人間だけである。