大臣の自殺について

 安倍総理の優しさというか、情を重んじるというところが結局は一番非情だという皮肉を露見させたのが今回の自殺であると思う。
 結局、疑惑を持たれた時点で大臣を辞めさせれば良かったのだ。野党の矢面にさらし者にしたまま、当の安倍総理は特に責任を引き受けるでもなく、ズルズルと時間を稼げば圧倒多数で何でも意見が通るという漫然とした内閣経営の結論がこれであると思う。
 早めに首を切れば、その間に当人は選挙区に戻って地盤固めをし次回選挙で禊ぎをすませて返り咲きという道もあったはずだ。それを潔しとしないのも確かに国民感覚であるが、考えてもみよ。
 政治家が買収されるようになったら国は大きく傾く。だれがなんといおうと政治家には金が必要だ。マニフェストの印刷にだってお金はかかるし(当然印刷屋はぼったくりであるが、そこで値切ったら投票してくれない)、目上の有力者とパイプを作るのに吉牛で生卵を分け合うような昼食というわけにもいかない。やっぱりそれなりの食事どころでなければ政治家は一国一城の主である。どこに盗聴器が仕掛けられているか分からないようなところで目上の実力者を招き話をするなどまさしく自滅の道である。
 ただ松岡には優秀な金庫番がいなかっただけのことで、現実には何とか還元水のところで発言を撤回、辞職で良かったと思う。
 それを辞めさせもせず、かといって助け船も出さない安倍総理の無策。安倍総理の統率力に大きな疑問を持った。
 あと、『少し脇が甘かった』などと久間が言っているが、おまえがいうかー! という感じである。叩けば埃が出るのは皆同じであろう。
 今日本の政治家で本当に清貧をやっているのは湯河原のツルネンマルテイぐらいのものだ。残念ながらツルネンは民主党の議員である。これがものすごく残念である。
 話を戻すが、安倍総理は小泉の作った官邸主導ラインを漫然と進んでいるだけの気がする。
 レールは敷かれている。憲法も改正する用意が出来た。
 しかし、そのなかで本来官邸主導であるならば、政治家を官邸として管理し、面倒を見る責任もあるだろう。しかしその責任も取らず、ただひたすら松岡農相を矢面に立たせ続けた。ほかにも何人もの閣僚を矢面に立たせた。小泉政権では小泉総理が指揮官先頭で矢面に立ち、マスコミを制御したが安倍政権は伊吹のような無能も晒し続け、国民に自民党にも政治家の人材払底を見せつけてしまった。その人材を回復するには指揮官先頭で総理自らがワンフレーズで行くべきだったのだが、安倍総理は空気を読めず、ただひたすら先輩議員を矢面に立たせながらパフォーマンスすら出来ずにいる。
 まさに機能不全。この内閣に大きな疑問を持った。