技量不足

 を毎日感じる。歳をとって、ますますそう感じる。
 山崎豊子沈まぬ太陽』を入手したりすると、取材力に裏付けられた独特の重厚感を感じる。乙一さんとかは相変わらず水彩画のような描写の文章でネタもいい。有川浩さんなんかも上手い。構成もわかっているし、カタルシスの落とし方も上手い。
 私はデビューから9年、技量的に進歩したかと思うと、シーンのツナギとかは意図して制限しているし、リーダーも制限している。日々鍛錬しつつ、まだまだ下拵えなんだなと思う。ただ、浸かっているだけではなく空気にも触れないと腐ってしまうのでウェブ販売をしている。
 でも同時に、自分の技量に満足するなんて事があってはならないと思う。青天井に技量は伸ばせるのだから。
 ただ、内心思っていることだけど、自分のキャパシティというか、脳の基本的なスペックも、圧倒的に不足していると思う。
 これをどうカバーするかというと、カバーできないという結論もある。
 要するに世の中には上手い人と下手な人がいて、文字のなかから風が吹いてくるような(西原理恵子『できるかなクアトロ』『パチクロ』より)人はいるし、そういう人たちには一生かかっても追いつけないよと思いながら、それでも負けずに書いてきた。
 認知科学もロボティクスも工学も、みなもっと頭のいい人がいる。
 そこで、できれば文芸や本格SFなどといわずにアイディア勝負というかフロシキ勝負で潜り込みたいですみたいな状態だった。
 で、結局そこら辺で編集さんに何か言われるともう反論することもできず、闘志もうしない、ただ自分の非力を苛んで、結局編集さんとは別れた。
 申し訳ないことだが、私には商業出版でやるだけの技量はまだない。なかったのだ。
 それでもデビューさせてくれたり、出版の機会をくれた何人もの編集さんに、心からありがとうと思う。
 そして、こんな私を慕ってくれ、そばにいてくれて、文章を読んでくれたり絵を書いてくれたユキさんに、ありがとうと思う。
 ユキ側の父母、私の父母にもありがとうと思う。何度も励まされてきた。
 私の力量のなさが、ただただ情けない。
 小説の文章には著作権はあっても、特許権はない。
 私には何もない。
 何も。