嘘と権威と嫉妬の三位一体にとどめを刺すときが近づいている。


【B面】犬にかぶらせろ! - 新風舎より削除要請がきた
http://d.hatena.ne.jp/gotanda6/20070918/SINPUSHA


 ありゃりゃ、いかにもありそうな話だよ。第一コミックヨシモトといい、今の出版業界のでたらめさを甘く見すぎているよ。リンク先は削除要請が来ているらしい。
 つまり、自費出版の会社なのにそうでない一般出版のようにみせかけ、事実自費出版でぼったくっているということなんでしょう。でも、ほかの出版社もけっこう同様なもんですよ。全部口約束だし、担保になるのは人間関係だけで、実際仕事していても仕事の内容はどうでも良いんだなと思わされたりするし。
 まあ、これではてなが削除だのすれば、そういう嘘と権威と嫉妬の三位一体でしかない現状の出版、とくに文芸書の嘘に屈したことになるんでしょう。屈したら屈したで、こっちにも手はある。
 
 
 今、テキストなんざ誰でも打てる。
 物語っぽくするんだったらテーブルトークRPGの手法と黄金パターンの水戸黄門風味シナリオにすれば手堅いし、そこそこソレ風に見えるだろう。そこから多少表現を手堅くやってけば、ムチャクチャに増えた文芸賞の1次ぐらいは通る。そのためのガイドブックはいま容易に入手できるし、私も買ってコレクションし、その上で作品を書きながら、まあ誰でもできる、という人ほど誰でもできない領域にあるんだなあと思いつつ、でもあえて私は書く。


 そこそこのウデがあって、選考に残ってからなのだ。どっかで見たような話で、どっかで聞いたような展開で、というところに落ち着いて苦しむのだ。そこで新奇さを狙ったりするけど、だいたい我々凡才が文学史に残るような大展開なんざ出来るわけがない。事実、昨今の『泣ける話』もお歳を召した方には『またやってる』の段階だろう。
 そのうえ我々凡才のうちで、書き続けられる人間なんかわずかだ。経済事情、カテイノジジョウでどんどんふるい落とされ、どんどん数が減っていく。
 それに、出版業界だってとうの当落を見極める連中がどういう目をしているか見ればだいたいわかりそうなものだろう。凡才が凡才を選ぶのだ。当然どんどんレベルは下がっていく。凡才だから目先の新奇さに吃驚するし、凡才だから同類項にも反応する。


 私も自分のレベルが高いとは思わない。私が商業出版できたのはいろいろな幸運があったことは否めない。だが、一定限度を超えるところまで追いつめた。それが扉をこじ開けた。でも、その結果がどうか。
 結局ひどい嫉妬を受け正当な評価は受けないし、それにそれ以上に出版サイドから骨の太い話を書いていこうというこっちの志なんざどうだっていいんだとりあえず大きく展開しろなんて言われて、じゃあ大きい展開ってなんですかと聞くと『嵐が丘』だってさ。
 なんだアンタ私の話も本も全然読んでないじゃん。


 そういう連中、要するにそういう人たちより前、昔私を拾って扉を開けさせてくれた講談社Kさんの世代以降、もう書く側も選ぶ側も凡才の極みである。とくにわかってない連中はじゃああれは新奇じゃないか斬新じゃないかというが、じゃあそれをアンタが作ってみろと。ええ私は読む側ですから、と逃げるな。解釈はそれこそ誰だってできる。問題はそれに気づくかだ。
 昨今のブレイクした作品を見ていると、ホント、物語の骨格はほんとうに類型そのものである。結局は学園ものだし、結局は『実はその正体は』だったりするし、あとはもう理性とか良心を悪魔にいかに切り売りするかの猟奇作品か、それともまた『なんどめだ死神』とか『なんどめだ吸血鬼』だとかだったりする。


 はっきり言って鉄道もの、学園もの、軍事もの、私もさんざんやってきた。しかし、それぞれ世の中には若干早かったし、世の中が来たときには世の中の真芯からずれていた。世の中の流行なんてそれだけのことなのに、その流行を捕まえる唯一の手段、どんどんチャンスを広げるという戦略について、現状の商業出版とその信奉者たちは出版というその戦略に必須なメディアのコストダウン、はっきりいって電子化には抵抗を続けている。


 しかしそれがなんだというのだ。一番の理由に挙げる文庫製本というスタイルの取り扱いやすさだって、うちでやっている圧縮印刷のほうが上回っている。文庫1冊の重さよりうちのwinlprt圧縮印刷での文庫1冊分のデータ出力、A4×20枚のほうがはるかに軽いし運びやすい。


 結局は再販制度や委託販売という枠組みで経済構造を守るためであって、本来なら質の向上で勝負すべきところが、どんどん権威を嘘に変換してでも権威と会社を守ろうとしているが、じゃあ会社は守れたかと言うと出版社はどんどんつぶれていく。でも印刷業界が支えてなんとか新社になったりもする。それでもつぶれるから手の着けようがない。


 権威は守れたか。結局大賞は1人程度なんだから、宝くじの当選者ぐらいの権威はあるだろう。だが、それにどれほどの才能があるか。結局宝くじ程度の幸運しか差がなくなった現状では、その受賞者が次の選考委員となったところで宝くじの当選者が宝くじのくじを引く側になっただけのこと。
 どっちにしろ圧倒的なテキストを誰でもが自由に紡ぎ、公開できる時代に未だに出版社が残っている理由は単に一つ、再販制度と権威という幻想である。
 文学を学べば学ぶほどそうだ。文学を学び、そしてウェブを見れば、何が変わって、何が変わらないかがわかる。


 変わったのは、公表するコスト。
 変わらないのは、その志。
 それが組織的に隠蔽され、ごまかされ、権威とかで武装しているために一見小説家とその志望者に差があるように見えているのだろう。


 小説家だってずるいよ。だって、本来そういう変わったことと変わらないことを共有できるパートナーがいて、何が面白いかとか、何が妥協しているとか、そういう調整を1人ではなく2人でやるだけでもずいぶん違いが出る。だが、多くの志望者は一人で書いているか、一人で書くよりももっと悪いウェブの悪しき衆愚主義に毒されている。
 それをそのパートナーが一時期、バブルのころにものすごい倍率の出版社の入社試験というふるいにかけて質が向上した時期があった。そういうパートナーが、賞の受賞者にはつく可能性がある。小説家となれば、それがつく可能性がある。そこが差かもしれない。
 しかし、本来ならもうテキスト媒体の出版というのはコスト的に無理なのは明らかだし、事実自分でやっていても吃驚するほどそう思う。


 特に今回、オーダリングシステムの勉強をしてわかった。もう凡才同士で議論するより、凡才は凡才なりに、自分の志を信じて、自分を志の方向に高めていくしかないのだ。
 
 
 志は踏みにじられ続けている。それはウェブの人々が自らの自由、志を驚くほどのローコストで表現し、公表し、そして高めていける今の時代をつかいこなしていないばかりか、逆に志の逆の方向、嫉妬の方向にばかりすすむからだろう。
 結論すれば、今の出版業界はもう経済的に成り立たない。でも、成り立つようにリサイズすればまだ救いはある。でも、それを権威と嫉妬と既得権益の三位一体の出版業界という幻想がふみにじり続けている。
 
 
 うちのオーダリングシステム、べつに誰でもできることなんで、ソースを見てもかまいません。
 簡単なJavaスクリプトで計算し、オーダーを無料のCGIサービスでメールするだけです。そして、決済はジャパンネットバンク同士であれば1注文52円。それで決済がすむ。
 あとはこっちからデータをメールに添付して送る。それだけのことです。非常にカンタン。だれでも30分ぐらいあれば始められるでしょう。
 これですむことを、数百から数千万円かけてやって出版して流通させ在庫させ裁断処分にしている。どうするというのだ。おかしいでしょ。
 もちろんメールオーダーに応対するのが多少面倒になるかもしれない。でも、それはそれですこしずつ追いつかせていけばいい。それだけのことです。
 でも、権威と嫉妬と既得権益の三位一体は、これだけの原理をなんとか取り込んで延命しようとする。インターネット自費出版だなんて馬鹿なものを作ったり、ソニーの読書端末みたいなものを作ったりしている。
 
 
 これからは最低限のコストで、自分とパートナー、まあ夫婦とか友人とか、その程度の規模で自主制作しちゃったほうがずっとその三位一体に媚びを売りへつらうよりずっと効果がある時代になるでしょう。次は出ませんよとか、出版の機会はなくなりますよ、なんて脅しに屈してきたけど、もう『そんなのどうでもいい』。
 映像だってカンタンに作れる時代、テキストだけが特別なんて事はない。
 みんな作家になっちゃえば良いんです。でも、その中で本当の質が問われる。その質とは、唯一、志です。
 私はそのためにウェブで自分の世界を書いてきた。もちろんご意見も頂いたりするし、なかにはストーカーサイトを作っている連中もいるけど、でも私は私なりに私の志を目指している。まっすぐに。
 正しいことは強い。でも、金にならない。それは世の中の原理です。
 だからウソの三位一体が未だに生き残っている。
 
 
 とどめを刺すときが近づいていると思っている。
 というか、もう刺さっているのだろう。
 
 王様たちは、往々にしてハダカだ。