とあること。

 ちょっと高いベッドに寝てきました。
 しかし高いベッドだったなあ。
 これからはこういうことはないと思います。たぶん。
 勿体無かったなあ。このお金があればマイクロエースの3000形SEも楽勝で買えたのに。


 考えれば考えるほど、なにもこんなことしなくてもなあと思った。
 いろいろ要因はあるけれど、致命的と考えるほどのことではなかったような気がする。
 何で自分でああいう状態になったのか、考えれば考えるほどおかしい。


 あのとき、冷静さを欠いていたのだ。
 特に大事な人関連だったし。
 自分関連だと自分で我慢すればいいけど、大事な人関連だとどうしても致命的な方向に行ってしまう。
 大事な人のことだと、その人がどう思っているか分からず、特にその人と連絡が取れないと暴走してしまう。


 まあ、復旧できたから、次回こういうことのないようにしよう。勿体無いし。
 そんな重篤でもなかったようだし。薄めるだけだったしなあ。
 馬鹿なコトしちゃったなあ。


 しかし、その大事な人の抱えたものが何にも変わりがないのもつらい。

 某占いで出た結果も、もしかすると本当かもなあ。
 やっぱり、ノンビリとはしていられない。

駅改修

 よねでん線小倉志井駅の改修。


 出発案内板を作りこんだものの、いまいち良く見えず。
 小倉志井をはじめ、よねでん線は有人改札が基本。

 一番の懸案だった小倉嵐山駅のホーム。
 カーブをあわせ損ねて隙間ができていたので、改修。


 とある方からもっと撮影に時間をかけよといわれ、そうだなあと思う。
 いつも原稿で煮詰まったときに煮詰まり解消で模型をやっているわけで、本業の小説のアイディアなりモーメントなりが思いつけば机に戻らざるを得ず、どうしても時間不足になる。いつも7時ごろ起きて翌2時頃眠る生活なので、もう24時間のうちの19時間を仕事に使っているわけで、その隙間の20分とかを使って撮影するので、無理っぽい。
 でも、模型撮影を通じて、何気ない写真でもそれを撮影するためにどれだけの手間がかかったかを想像できるようになった。
 まるで絵に描いたように撮影するというのは無理なのだ。カメラを数ミリずらしただけで構図は崩れてしまうし、その構図だってLCDファインダーで見ているときは良くても、PCで拡大するとがっかりだったりというのは良くある。
 むずかしいなあ。

 というわけで、またすばらしい写真を頂いてしまった。
 この領域に向けて、何とかやっていきたいなあ。


 あと、なんか、小説について『もったいない』とか、『もっと推敲しろ』とか言う人もいる。まあ、そういう人に限って無料でアップしてあるプレビューしか読んでいないのだけれども。
 はっきり言うと、私が思うに、もう文章を上手くするとか、そういう方向を目指していってもどうにもならないなと思うのです。
 第一文章上手い人はたくさんいるし、なかには文章は上手いけどアイディアは凡庸だったり、たいして考えていなくても文章上手い人は一杯いる。
 私は限られた時間の中で、私の中にあるプリンセス・プラスティック世界をすべて表示せねばならない。
 テクニックもそのうち身に付くかも知れないけど、そんなもの身に付くまで何も表現せずに黙っていることはできないのだ。


 私が思ったのは、私がなぜ書いているか。
 別に儲けたいとか、有名になりたいとか、そういうのはどうでもいい。
 私は私の親や、祖父母や、それ以前の世代から受け継いできたイメージする遺伝子を継承しているし、その遺伝子の関係、縁によって書ける環境を手にした。
 書ける環境にあるのは私がどうかしたからではない。
 そうなるように運命に許され、書けと示されているからだ。
 私が書いているのではない。私に連なる遺伝子が書いているのだ。
 私自身、自分を下手だなと思うときは良くある。
 でも、その私が、その遺伝子の流れを自分勝手にぷつんと切ってしまうわけには行かないのだ。
 書くということは、私が書きたいのではない。私に連なる歴史によって、書かざるを得ないのだ。


 だから、下手だとかどうとか言っても、どうにもならない。私は全力で書いているわけで、それ以上を求められても私にはどうしようもない。いつの日かそのレベルに達するのをお待ちいただくしかない。
 ましてやユキさん宛に私へのアドバイスを伝えるなんて金輪際やめていただきたい。
 アドバイスできる立場かどうか、よく考えて欲しい。まあ、直木賞とか賞をがんがん取っちゃうような文豪で、そして私とユキさんの生活を丸抱えしてくれるようなことだったらアドバイスの図式があるかも知れないけどさ、なんで私たちの選んで、必死に維持して、必死にやっていることに、何の責任関係もなく、何の背景となるキャリアも知識もないくせにアドバイスできてしまうのか、それが不思議でならない。
 まあ、それだけ頭が悪いんだろうけどさ。
 はっきり言う。
 そんなにイヤなら読むな。読まんで結構。
 私がウェブに小説をアップしていることで何かアナタの財布を傷つけましたか?
 べつに買いもしないのに『読む気力がそがれた』などといちいちメールを送ってくるから、ああ、またバカが来た、ホント、バカばっかりのこの世界に絶望した! のだ。
 生活の面倒を見てくれるならアドバイス聞かせてもらいましょう。月30万近く仕送ってくれるなら聞く耳持てるかも。
 ほんと、大きなお世話である。


 まあ、そういう人いるんだけどね。
 自分でそれをやってもいないくせに、頭のちょっとだけで反射的に『これこうしたらいい』、なんてのは。もう何にも深く考えない反射神経だけで生きている人々。
 現実に模型なり、仕事なりで自分で何かを作っているのなら、そんな小手先でどうこう『アドバイス』しちゃうオコサマのバカさ加減は良く分かると思う。
 私自身は何人か、自分でものを作り出している現場の人々を知っている。模型にしたって、なるほど上手いなという人々がいる。
 もう私は彼らに勝てないと思うし、それだけのスキルを持っていると尊敬している。
 だからこそ、ちょっと聞いただけで、そうだなと思う。
 そういう人々は、アドバイスなんて言わなくても、自然と現実で実施できる策をちゃんと考えてくれる。
 それこそ本当のアドバイスである。同じ道を歩んで、先を行っているものにしか、アドバイスはできないのだ。
 同じ道で、同じ苦しみを体験した上で話すから、現実的なことを言える。
 でも、コメントを付けたり、評論ぶって話す人々は、同じ道を歩んでいない。
 歩んでいるのなら、それはちゃんとわかるように世の中できている。
 故にアドバイスなどありえないのだ。


 ホント、この仕事をやっていて、他の仕事と同様、人にはランクがあるなと思う。
 『兵隊で言うとどのくらい?』みたいな。
 悲しいけれど、人間の出来というものは、はっきりと分かってしまうのだ。
 それゆえに、2等兵程度しかないものが、中佐クラスの人にその人の専門のことに門外漢のままアドバイスしてたりすると、2等兵のバカさ加減に悲しくなり、私はそういうのを見ると悲しいを通り越して絶望してしまう。


 人間に出来不出来がある。
 そう思いたくない時期があった。
 皆平等だと思いたかった。
 でも、世の中にそんなことは絶対にないのだ。

非常識

ITmedia アンカーデスク:なぜ起こる? 「炎上」の力学 (1/2)
http://www.itmedia.co.jp/anchordesk/articles/0609/04/news012.html

 現実が何にも分かっていない。
 というか、ケンカ慣れしてないだろこの人。
 『炎上は悪いことではない』 エー、ウッソー。
 現実に精神的に苦しむ人もいるし、現実に賛否両論に別れている問題であっても主戦場になるものとそうでないものがあることを全然見ていない。
 というか、ほんとこれまでのウェブの歴史をなんだと思っているんだ。
 『いやなコメントを削除するのが悪い』 これもびっくり。
 削除しちゃいけない、それは教科書的にはそうだけど、荒らしの人々はそれを逆手にとって家主のかんに障ることをさんざするわけでしょ。馬鹿な意見を書いて、その後にこれを削除したら炎上させる、なんて脅迫だってある世界ではないか。
 荒らしと炎上は違う、って、違うんじゃなくて、炎上すると荒らしが来るし、鎮火しかけると荒らしが火が弱まらないようにとさらに荒らしが沸いてくるわけでしょ。
 ホント、現実を何も見ていないな。

  無数のコメントを全体的にとらえて一つの総意を汲み取り「みんなの意見は案外正しい」的な感覚で真しに受け止め、正しいと思うことは貫き、間違ったことは謝罪する誠実な態度が重要だと思います。

 この人小学校の帰りの会の馬鹿な多数決を知らない未熟者なんだろうな。『貧乏な誰それ君はクサイです』とか馬鹿な女子がいじめそのもののやり方で騒いで、多数決を取ってみたいな。それをよりによって先生がバカで止めもしないみたいな。
 そんな合意形成でできた合意がどれほど人を傷つけるか。
 第一、その無数のコメントを読むことにどれだけ労力がかかるか。それがどれだけ家主の時間を奪い、平常な生活を破壊するか、分かってないでしょ。
 あと、『正しいこと』がどれだけ『正しくない人』を追いつめて狂わせるか、それも分かっていない。ジャーナリズムの歴史は、正しいことをいかに言わずに興じて時間を潰すかの歴史だった。正しいことを言う人は嫌われ、リアルの世界で暴力を受けてきた。
 私自身も暴力を受けたし。まあたいしたことじゃなかったんだけどね。告訴しても良いかと思ったけれど、そこまではしなかった。
 そんなにヒマじゃないし。


 本当は、炎上が問題なんじゃない。
 炎上に応対することで現実社会での仕事が差し障るのが問題なのだ。
 なんにもわかっちゃいない。


 間違ったこと?
 じゃあ社会党バリバリの憲法守れば平和確定の電波お花畑の人々と右翼ばりばり靖国参拝オッケー国家神道復活なんて言っている私がガチでぶつかり合ったらどっちかが倒れるまで朝までシャベリ場になっちゃうわけでしょ。
 その結果、片方が間違っているなんて言ったって、そんな合意の形成が互いに何の役に立つのか。
 もっとやらなくちゃいけない仕事が互いにリアルの世界にあるのに。


 一日中ウェブに常駐できるヒキコモリだったら朝までシャベリ場も良いだろうけどさ、まっとうな人は仕事に時間を割かないと生活できないんだし、それに対して荒らしのヒキコモリは物量作戦でひたすら手をかえ書き込んで多数派の虚像を作るわけでしょ。
 多数派の虚像を作るためなら串通したりなんて古典的な方法からなんやらで必死なのが荒らしでしょ。

 炎上は恐れるものではありません。反社会的な行為を自慢するような書き込みは問題外ですが、自分が正しいと思うことを、炎上を恐れるあまりに発言しなくなってしまったならば、ネットの世界は危機的な状況に陥るでしょう。

 現実の世界でも、人に向かってはっきり言える自信があることは、ブログやSNSで発言すべきです。その結果、反論や批判的な意見があったとしてもそれは1つの意見であり、そのことに対しての自分の意見を述べ、議論すればよいのです。

 その結果、誤りであったと気づいたことは率直に謝罪し、それでも正しいと信じることは主張するような自由な議論がそこにあることが大切だからです。そして、真しにこれらの人たちと議論し、お互いを理解できたならば、炎上は逆に、新しい支持者を大幅に増やすチャンスに変わるでしょう。

 そんな暇人同士の『自由な議論』に何の価値がある。しかもはじめからケンカ腰なのに誠実に応対なんて言ったら神経参っちゃうよ。
 まったくの空理空論。こんな人間がWeb2.0なんて言っているから頭が痛くなる。
 結局は万人に対する万人による闘争が激化して、安定的にものごとを考えながら育っていく環境が失われるというものだ。
 私自身、2ちゃん軍事板と『ぼたんの花』の論戦を見ていたけど、2ちゃん軍事板のほうがしっかりしていたけどだからといってあの『ぼたんの花』1つを追いつめてどうなるのか、もっとやることがあるだろみたいに幻滅した。
 第一、啓蒙しようという姿勢がおこがましい。軍板にはいい記事が多いのだが、それを他人の、それも個人のblogへの攻撃に使っちゃ自分たちのやっていることに泥を塗るようなもんでしょ。それが私はドンビキだった。
 それでも2ちゃん軍事板はROMってるけど、自分たちの知識に酩酊してはいけないよ(東教授)みたいに思ってしまう。
 軍板自身、ちゃんと書いているのにな。どんなに知識があっても、ちょっと外を見ればもっとすごい人がたくさんいるのだから、啓蒙なんておこがましいと書いてあるような。

 真しにこれらの人たちと議論し、お互いを理解できたならば

 簡単に言い過ぎ。お互いの理解なんかできないって養老孟司がさんざん言っていたではないか。

お互いを理解できたならば、炎上は逆に、新しい支持者を大幅に増やすチャンスに変わるでしょう。

 おいおい、それってマッチポンプではないか。おかしいよ。

伊地知晋一氏のプロフィール

 ライブドア社長室長 コーポレート担当。グループ会社全体のWeb戦略を推進している。

 1996年、メール配信システムのシノックスの取締役として創業から参加。退職後、ユーティリティー系ソフトを販売するプロジーグループに入り、オンザエッヂ(現ライブドア)による買収と同時にオンザエッジに合流。

 2002年、オンザエッヂの旧ライブドア買収に伴い、無料プロバイダー・ライブドアの責任者として運営に当たる。2003年、ポータルタルサイトライブドア立ち上げ。同時にスタートしたブログが国内最大のサービスに成長した。このほか、約2年半で50以上のネットサービスを立ち上げる。

 この人、釣りで言っているんだろうか。釣りだろうな。
 でもそれにしちゃあまりにもお粗末な釣りだよな。

 これに対して。

 >> 自分の見てきた炎上サイトの原因を見る限り

といった客観性に欠けたり裏づけの乏しい論拠で

 >>  炎上の原因は、ほぼ100%書き手にある

というような極端なことを言った結果炎上する例は確かによく見ます。

 痛烈な意見であった。